西武ニュース 2015年12月号
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所沢車輌工場西武鉄道を語る際に忘れてはならないのが、所沢車輌工場。昭和時代、西武鉄道のほとんどの車両はここで製造されていました。Vol.8資料提供:(株)ネコ・パブリッシング 『写真で見る 西武鉄道100年』よりトラバーサーから見た検修場建屋。右側の客車は最初で最後の輸出車両となったコンゴ向け客車 撮影:西武鉄道工場南側の検車線建屋内。画面手前側に所沢駅への引込線があった 撮影:名取紀之1本のゴムベルトと一つのドアエンジンで両開きドアを開閉させる「ST式戸閉装置」。「ST」は西武所沢の略昭和時代、鉄道会社は車両を製造会社から購入することが定石でした。しかし西武鉄道は唯一、所沢車輌工場で車両を新造しており、1960〜1970年代のほとんどは自社製でした。終戦後、陸軍立川航空廠所沢支廠に人員・機材を集め、1946(昭和21)年、株式会社復興社を設立。部品加工からスタートし、車両新造へと発展していきました。その後、1961(昭和36)年10月に西武建設株式会社と社名変更。1973(昭和48)年12月、所沢車輌工場業務は、西武鉄道株式会社に移管されました。所沢車輌工場の車両新造は、鋼材から台枠、車体構体を組立てる職場。最盛期の1960年代は年間50両を超え、全国各地の地方鉄道へも供給してきました。また、車両新造だけではなく、車両の定期検査や、自動車の車検・修理、西武園・豊島園の遊戯物の点検・修理も行い、ST式戸閉装置は、国鉄をはじめ多くの私鉄電車にも採用されました。1999(平成11)年3月に9000系9008Fの出場を持って新造業務を終えて、さらに2000(平成12)年6月、2000系2459Fの重要部検査が最後の出場車となりました。所沢車輌工場が西武鉄道の所属であったのは、ほぼ四半世紀でしたが、業務そのものは復興社から綿々と継承したもので、現在の武蔵丘車両検修場もその延長にあると言えます。しょうししょう13

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