西武ニュース 2016年1月号
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Vol.9資料提供:(株)ネコ・パブリッシング 『写真で見る 西武鉄道100年』より多摩湖鉄道村山貯水池駅照明灯や茶屋など行楽地に相応しい設備が整えられていた 所蔵:白土貞夫武蔵野鉄道山口線(狭山線)の開業西所沢駅~村山公園駅間の山口線(のちの狭山線)は1929(昭和4)年5月に開業した 所蔵:関田克孝多摩湖線の101系1950(昭和25)年以降、多摩湖線にも12m級鋼製車モハ101系を投入して輸送力が増大した 撮影:荻原二郎現在の多摩湖線は、多摩湖鉄道という会社が1928(昭和3)年4月に、沿線のニュータウン開発と多摩湖などの観光輸送を意図して、国分寺駅〜萩山駅間で開業したのが始まりでした。近代水道の整備を目指していた東京市(当時)は、大正時代のはじめに多摩川から引水する貯水池を立案。1927(昭和2)年に村山貯水池、さらに1934(昭和9)年に山口貯水池が完成。貯水が始まると、東京には今までなかった湖畔の景観が生まれ、一大観光地の様相を呈することになりました。そこで、武蔵野、(旧)西武、多摩湖の3社の鉄道会社が湖畔までの観光用の支線をつくり、乗客誘致にしのぎを削ることになりました。なお、村山貯水池を多摩湖、山口貯水池を狭山湖と呼ぶのは、多摩湖鉄道が広めた呼称です。戦後間もなくの鉄道3社の合併にともない、1946(昭和21)年11月15日、現在の西武鉄道に社名を変更。それぞれ支線をつくり誘客を競っていた観光地が新生西武鉄道の勢力圏に入りました。その後、現在の西武園ゆうえんち、西武園競輪場、狭山スキー場、西武プリンスドームとさまざまなジャンルのレジャー施設を展開し、今なお賑わいを見せています。多摩湖・狭山湖と西武鉄道昭和初期から観光やレジャーで賑わいを見せる多摩湖・狭山湖。路線の開業時から戦後の発展、そして現在までの変遷を辿ります。13

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